chudokux’s blog

自己否定まみれの主婦のココロ整理日記。

自己否定まみれ主婦のオノレ解放日記

インフルエンザ考_01

巷では、未だにインフルエンザが猛威をふるっている。

 

わたしは、子供が小さい頃は、インフルエンザが怖くてしょうがなかった
聞くところによると、インフルにかかると下手すりゃ「インフルエンザ脳症」とかいう恐ろしげなものになって最悪、死に至るというではないか

 

インフルエンザなんて、毎冬、バカスカ流行し、学級閉鎖になんかになった日には、半分以上の人間が感染するような大ポピュラーな病気である。そんな有名な病気に普通に死が潜んでいるなんて、親にとっては大変な恐怖である。親ってものは(というかわたしは)、子供が高熱を出しただけで「死ぬんじゃないか」なんて言葉にはしないけれど(怖いから)、心の奥底で、ひっそりこっそりと怯えるものだ。

 

「死ぬんじゃないか」なんて思ったら本当に死んでしまいそうだから、絶対に口には出さないけれど、口に出せないからこそ、真夜中に40度を超えている子供の異様に熱い体を必死で撫でている時の孤独感と恐怖感は、ちょっと言葉では表現できない。

 

特に、うちには3人子供がいるのだが、上2人は、ただの風邪でもフッツーに40度を超える。39度だと「ああ、そんなに高くなくて良かった。」と思うし、38度なんて「微熱かな」と安心するぐらいだ。なので慣れるまでは、毎回毎回、恐怖であった。

 

そもそも、子供が生まれた時、何よりも1番始めに思ったのは、

「怖いな」

であった。失うものができてしまった恐怖心にがんじがらめになってしまったのだ。かわいいだとか愛しいだとか、そんなことの前に感じたのが恐怖心だったというのは、私にとって象徴的な出来事だ。こういう自分の心の傾向が何よりも自分自身を縛り、苦しめているのだというのがわかったのは、ごく最近である。

 

この世には「不安」がベースなのか「愛」がベースなのか、どちらかしかない。

 

というのは、まあ、宗教でも心理学でもスピリチュアルな本とかにも書いてあることなのだけれど、私の感情のベースほとんどは「不安」であった。自分の気持ちに蓋をし続けて生きてきた私は、年齢を重ねるたびに「不安」を増やしていった。それが、まるで、私を守ってくれる武器かのように、私は大切に、それを抱きしめて生きてきた。

 

というわけで、そんな私の子育てのベースには当たり前のように「不安」が90%以上を占めていたわけなのですが、今は、それでも80%ぐらいに?減ったのかな?わからないけれど、インフルエンザに怯えることは無くなってきたのだ。

 

 長いので次の記事へ